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高知地方裁判所 昭和42年(行ウ)5号 判決 1970年6月11日

原告 門田豊

被告 高知県

主文

一、被告は原告に対し、金一九、四二〇円およびこれに対する昭和四二年一〇月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告

主文第一項と同旨の判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決。

第二、原告の請求原因

一、原告は、高知県立学校教職員(教諭)であり、昭和四〇年当時高知県立城山高等学校(以下、単に城山高校という。)に勤務していた者であるが、同校校長の発した旅行命令により、同年一〇月二七日から同年一一月三日までの間、同校の修学旅行に参加する生徒一二〇名を引率して東京・日光方面へ旅行(以下、本件修学旅行という。)した。

二、本件修学旅行は、城山高校校長が高知県立学校の管理運営に関する規則(昭和三五年教育委員会規則第八号)第五条の規定に基づき、高知県教育委員会(以下、県教委と略称する。)の承認を受けて実施したものである。そして、高等学校において現に実施されている修学旅行は、学校教育法施行規則に基づいて編成される教育課程を構成する学校行事等に含まれるものであるが、この教育課程の基準を示す高等学校学習指導要領(昭和三五年文部省告示第九四号)では、修学旅行は学校固有の教育活動とされている。

従つて、本件修学旅行は学校が行なう教育活動の一環であり、原告の右引率旅行も公務のための旅行であること勿論である。

三、そうすると、被告は原告に対し、職員の旅費に関する条例(昭和二九年七月一二日条例第三六号。以下、旅費条例と略称する。)に基づく適正な旅費を支給しなければならないところ、右条例によれば本件旅行のため被告が原告に支給すべき旅費の額は金二四、九二〇円となるにもかかわらず、被告はそのうち金五、五〇〇円を支給したのみで、その余の支給をしない。

四、よつて、原告は被告に対し、右旅費の残額金一九、四二〇円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四二年一〇月一〇日から右支払済みに至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、被告の答弁ならびに抗弁

一、請求原因第一ないし第三項の事実(ただし、同第一項の事実のうち修学旅行に参加した生徒数を除く。)は認める。同第四項は争う。

本件修学旅行に参加した生徒数は一一八名である。

二、原告は、旅費条例に基づく正規の旅費額金二四、九二〇円と現に被告が支給した金五、五〇〇円との差額金一九、四二〇円については、その請求権を放棄した。すなわち、

(一)  旅費請求権放棄の可否について

旅費法規上の旅費は本来公務員が旅行命令に基づいてなすべき旅行に必要とされる費用に当てるために支給されるもので、その本質は実費弁償であり、給与・手当とはその性質を異にするものである。このような実費弁償を請求する権利は、公法上の権利ではあるが、少くとも、公務員の勤務関係を破壊するおそれがない場合に、既に発生した具体的請求権を放棄することは可能であるというべきである。

(二)  高知県下の学校における旅費支給に関する慣行について

高知県下の学校においては、各学校により多少の差異はあるけれども従来から職員の賛同と支持により形成され受継がれてきた旅費支給に関する学校独自の慣行があつた。その内容は、内規等の制定手続、旅費財源、支給方法、支給額等旅費の取扱いに関する全般にわたつているが、概ね、職員の承認を得て学校独自の支給方法をつくること、公務出張とそれ以外の旅行用務とにより旅費額に差別をつけないこと、県費予算の不足分についてはP・T・Aの寄付をもつて旅費財源とすること、交通費・宿泊費等は実費支給とし日当は可能な限り旅費条例に基づく金額を支給するようにすること、頻繁な旅行地については旅費一覧表を作成することなどに要約されるものであつて、これらのことは、各学校における各年度初の職員会議において全職員の承認を得るなどの方法により、学校独自の内規または慣行として旅費支給に当つての基準とされてきたものであり、原告の本件提訴に至るまで職員から何らの異議もなく経過してきたもので、事実たる慣習と評価されるまでに至つているものである。

そして、このような慣行が形成された所以は、終戦後国家財政の窮迫による教育予算の貧困に加えて、戦災および学制改革による新制中学校の新設等に基因する施設建設の要求が優先され、旅費をはじめとする一般需要費の予算が少額であつたこと、さらに学制改革により大量に採用された助教諭の教諭免許取得のための研修会等への出張が激増したが、その出張旅費を自己負担とすることは酷であつたことなどの理由から職員との協議に基づき、限度ある旅費予算の公平な配分方法が考案され、漸次各学校の実情に即して改善されつつ、今日に至つているものである。

さらに、今日までこの慣行が各学校における最も実情に適した現実的な支給方法として承認されてきた理由として、各学校に配分される予算額には一定の限度があり、教育機関における公務執行もすべて予算の制約を受けることは当然のことであるにもかかわらず、学校の教員はその職務の性質上研修会等への参加を多く希望するため、校長はその希望を最大限に容れて出席の機会を与えるよう配慮し、右予算の枠を越えて本来教員の自己負担で旅行すべき性質のものにまで好意的に旅行命令を発している実情であること、また公務出張の対象外と思われるような各種旅行についても災害の発生を考慮し、職員の希望もあつて旅行命令を発していること、さらに、県費、P・T・A会費等負担区分を異にする旅行により旅費額が異ることは職員間の均衡公平を欠くとの空気があり、外部団体、P・T・A、体育会等の行事に参加する場合についても公務出張の場合と差別をしない取扱いをしていることなど、学校の運営を考慮しつつ職員に対する旅費配分の調和均衡を図るためにとられてきた学校独自の事情がある。

(三)  城山高校における慣行について

本件旅行当時原告が所属していた城山高校においても、従来右同様の慣行に基づいて旅費が支給されてきたもので、昭和四〇年度においても年度初の職員会議で全職員が右慣行を承認し、原告の本訴提起に至るまで全職員が右慣行に基づく旅費を受領して何らの苦情もなく平穏に経過してきたものであり、原告が慣行を知悉しこれを承認していたことは明らかである。

(四)  本件旅費請求権放棄の意思表示について

城山高校では昭和四〇年度の本件修学旅行を実施するに当り原告をはじめとする引率教員四名を派遣することになつたが、当時県教委から年間予算として城山高校に配分令達されていた旅費予算を年間執行計画により研修、一般会合、事務連絡等に配分すると、とうてい右四名を派遣するに必要な金額を捻出することができない実情であつた。そこで、城山高校としては、前記慣行により右四名の旅費を支給することとし、旅行出発に先立ち校長の命を受けた教頭が右四名の引率教員と話合つた結果、同人らは、一人当り交通費、宿泊費等の旅行実費金一四、六五〇円プラス雑費金五、〇〇〇円の合計金一九、六五〇円で本件修学旅行を完了すること、および右金額中金一四、一五〇円をP・T・A補助金で賄うこと――従つて、県費からの支給額は金五、五〇〇円となる――ことを了承した。そして、昭和四〇年一〇月二五日付で旅行命令が発せられ、原告らは本件修学旅行に赴いたのであるが、その旅費精算手続は、右旅行終了後の同年一一月二六日に至つて次のとおりなされた。

すなわち、県立学校における旅費支給手続は、校長の旅行命令に基づく旅行終了後、当該旅行者が所定の請求書を提出し、所要の手続を経たうえで出納員(事務長)がその旅費を支給する建前となつているが、従来からの実情は、職員から旅費の請求ならびに受領の権限を包括的に委任された事務職員が、右請求書等必要書類を作成したうえ校長ならびに出納員の決裁を受けて旅費を受領し、これを当該旅行者に交付するという取扱いをしているところ、原告らの本件修学旅行の旅費についても、原告を含む城山高校職員から旅費の請求ならびに受領権限を委任された事務職員横田元が、昭和四〇年一一月二六日右の取扱方法により請求書をはじめとする所要の書類を作成し、校長ならびに事務長の決裁を受けて旅費精算手続をしたが、右横田元は右請求書作成に際し、本件修学旅行出発前の原告らの前記了承の趣旨に従い、原告については旅費条例に基づく正規の旅費額は合計金二四、九二〇円となるのに請求金額を金五、五〇〇円と記載し、右差額金一九、四二〇円についてはその請求権を放棄する旨の文言を右請求書欄外に記載して原告の捺印を求め、原告はこれに応じて自ら捺印したものである。

このように、原告は右金一九、四二〇円の請求権を放棄する旨の文言を認識しながら自ら捺印したものであつて、原告が右金員の請求権を放棄したことは明らかであるが、仮りに、右捺印は原告が自らの手でなしたものではなく、横田元がこれをなしたものであるとしても、同人は原告の機関または権限ある代理人として捺印したものであるから、いずれにしても原告は右金額についてその請求権を放棄したものというべきである。

そして、前記のとおり、原告はP・T・Aからの補助金一四、一五〇円を含めた合計金一九、六五〇円の範囲内で支障なく本件修学旅行を完了しているのであるから、その完了後になされた右請求権放棄により勤務関係が破壊されるおそれは何ら存在せず、従つて、右請求権放棄は有効である。

第四、抗弁に対する原告の答弁ならびに主張

原告が本件旅費請求権を放棄したとの被告の主張は否認する。

すなわち、

一、公権である旅費請求権の放棄は許されない。

旅費請求権は公の勤務関係に基づいて発生する公法上の権利であるが、一般に公権は、単に権利者自身の利益のためにのみ認められるものではなく、同時に社会公共の利益のために認められるものであるから、権利であると同時に義務としての色彩の強いものであり、このような特色を有する公権は、法規に別段の定めのない限りこれを放棄することはできない。

もつとも、公権の中でも純粋に権利者の経済的利益のみを目的とするものはこれを放棄することができるとする見解もあるが、本件のごとき旅費請求権は、原告ら公務員がその職務執行について特別の費用を要する場合にその費用の弁償を受ける権利であつて、いわゆる実費弁償を受ける権利の一種であり、これは純粋に権利者の経済的利益のみを目的としたものではなく、職務を誠実に遂行するに当つて欠くことのできないものである。このような性質を有する費用弁償請求権を放棄しうるとすれば、およそ地方公務員法が地方公務員に要請している法令遵守義務(同法第三二条)、職務専念義務(同法第三五条)を遂行することは不可能となり、高校教育の実をあげることは著しく困難となり、その公共的な不利益は計り知れないものがある。

そうすると、本件旅費請求権はそもそも放棄を許されないものというべく、被告の抗弁は主張自体失当である。

二、仮りに本件旅費請求権の放棄が可能であるとしても、原告がこれを放棄する旨の意思表示をしたことは一度もない。

すなわち、

(一)  原告はかつて県教委の職員として在職していた経験があり、昭和三三年教職に転じて以来、高知県一般職員と教職員との間に旅費支給額につき甚だしい格差があることを知り、常にこの格差の是正について関心を抱いていた者であり、このような教育費の不足がP・T・A負担として転嫁されていることを不当として組合活動の中で取上げていた高知県教職員組合(以下、県教組と略称する。)の組合員の中でも、右問題に対し最も強い関心を示していた。

そこで、原告は、本件修学旅行に先立ち派遣教員四名の代表として、正規の旅費を支給するよう城山高校々長と交渉することになつたのであるが、本件修学旅行にあつては旅行コースに応じた交通費、宿泊費等の実費は生徒・教員分とも予め一括して旅行案内業者に対して支払われており、右教員分の交通費・宿泊費等の実費はP・T・A会費のうちから支払われていたのであるが、原告は旅費条例に基づく正規の金額を県費をもつて支給するよう交渉した。しかるに、校長は、自らも旅費条例に規定された正規の旅費を支給すべきことを認めながら、県費の支給額が少いことから一部をP・T・Aに負担してもらつているので、前記交通費・宿泊費等の実費に雑費として金五、〇〇〇円を加算した程度の金額で了承するよう原告を説得した。原告としては、県費の不足分を父兄負担とすることはとうてい是認し得なかつたが、校長のみを責めても解決しない問題でもあり、このまま交渉が行詰つて修学旅行そのものが中止になつては生徒の要望、期待に背くことにもなるので、後日高知県人事委員会へ措置請求をするか、はたまた裁判所へ提訴し、その結果正規の旅費の支給を受けた時P・T・Aの負担した部分を返還しようと考え、その旨校長に意思表明したうえで本件旅行に赴いたものである。

このように、本件修学旅行出発前の交渉においては、校長は原告らに対し前記実費に金五、〇〇〇円を加算した金額で本件旅行に赴くよう協力を求めたにすぎないのであつて、その際、旅費条例に基づく正規の旅費額およびP・T・A負担額等についての具体的説明は何らなされなかつたし、いわんや旅費請求権を放棄されたい旨の申入れなど全くなかつた。

そして、現に原告は、本件旅行終了後の昭和四〇年一二月九日付で高知県人事委員会に措置要求を提出し、同人事委員会は原告の要求を正当と認めて被告に勧告を発したにもかかわらず、被告はこれを無視して応じないので、本訴を提起するに至つたものである。

(二)  被告の主張によると、原告が昭和四〇年一一月二六日に、旅費請求書の欄外に記載されている「金一九、四二〇円の請求権を放棄する」旨の文言を了解して捺印したとのことであるが、原告は当時右のような文言を見たこともなく、これについて説明を受けたこともない。

そもそも被告主張の請求権放棄の取扱方式は、被告が教育予算を削減しその結果生じた教育費の不足分をP・T・Aに負担させてきたという違法行為を隠蔽するため、原告ら職員が何ら関知しないままに一方的に案出された措置であつて、これをもつて正規の旅費支払を拒む理由とはなし得ない。

第五、証拠<省略>

理由

一、高知県立学校の教職員(教諭)である原告が、昭和四〇年一〇月二七日から翌一一月三日までの間、当時の勤務校である城山高校校長の旅行命令により修学旅行に参加する生徒を引率して本件修学旅行をしたこと、右旅行は公務のための旅行であり、旅費条例の適用対象となるものであること、右条例によれば、本件修学旅行のため被告が原告に対して支給すべき旅費額は金二四、九二〇円となること、および原告は被告から右金額中金五、五〇〇円の支給を受けたことは当事者間に争いがない。

二、被告は、原告が右金二四、九二〇円と金五、五〇〇円との差額金一九、四二〇円の旅費請求権を放棄したと抗弁するので、以下この点につき検討をする。

(一)  旅費請求権放棄の可否について

個人または団体が優越的な意思の主体としての国家、公共団体に対して有するいわゆる個人的公権は、単に個人的利益のためにのみ与えられているものでなく、これを個人に享有せしめることが国家または社会公共のためにも必要であることに基づき与えられているのであるから、一般にはこれを放棄することを得ないものといわなければならない。蓋し、これを放棄することができるとすればこのような個人的公権を認めた本来の目的を妨げ公益を害するおそれがあるからである。しかしながら、個人的公権に属するもののうちこれを享有する者の経済的利益を主たる眼目とするものについては、公益を害するおそれがないから、放棄することも可能であると解すべきである。そして、公務員の旅費請求権が公法上の勤務関係に基づき発生するところのいわゆる個人的公権であることはいうまでもない。地方公務員の旅費は、地方自治法第二〇四条の規定により地方公共団体が条例をもつてその支給額および支給方法を定めて支給すべきことが義務づけられており、被告高知県においても前示旅費条例を制定しその規定に準拠して旅費の支給がなされる建前であるが、このような法的措置が講ぜられているのも、公務のために旅行する公務員に対し旅行に要する費用を補填して公務の円滑な遂行に資することにあると考えられる。しかし、旅費の本質は公務員の公務による旅行中必要とされる費用に充てるため支給される費用であつて、いわゆる実費弁償の一種であるから、旅費請求権は個人的公権に属するものとはいえ当該公務員に経済的利益を享有せしめることを主眼としているものと解するのが相当であり、公務員の地位に基づきその職務に対する反対給付であると同時にその地位相当の生活を保障する資料として支給せられる給料等とはその性質を異にするものである。従つて、具体的に発生した旅費請求権はこれを放棄することも可能であると解すべきである。

(二)  本件旅費請求権の放棄の有無について

そこで次に、原告が昭和四〇年一一月二六日に金一九、四二〇円の旅費請求権を放棄する旨の意思表示をしたとの被告の主張の当否につき判断をする。

まず、被告が右主張事実認定の資料として提出している乙第二号証(同第六号証の一四および一五を合わせたものと同一のもの。支出負担行為決議書兼支出命令書。)の欄外には、「¥72,080.―の請求権を放棄する。門田19,420.― 中内16,620.― 大田16,620.― 戸田19,420.―」なる記載があり、それぞれ右各名下に門田、大田、中内、戸田名義の印影が押捺されているところ、原告は右記載中原告名下の印影が原告の印章により顕出されたのであることのみ認め原告作成名義の部分の成立を否認しているので、右原告作成名義の部分が真正に成立したものであるかどうかについて検討する。

証人横田元の証言(第一、二回)によれば、右記載のうち「¥ の請求権を放棄する」との文言は城山高校の事務職員である横田元が同校事務室に備付けのゴム印を押捺したものであり、その余の数字ならびに文字はいずれも同人が記入したものであることが認められ、これに反する証拠はないから、右記載のうちに「門田」なる原告の氏の記載があるけれども、これをもつて原告の署名があるものということはできない。そこで、進んで原告名下の印影が原告の意思に基づいて顕出されたものであるかどうかについて考察をするに、証人横田元および同山中勉の各証言(いずれも第一、二回)中、右印影が原告の意思に基づいて顕出されたものであるとの趣旨の供述部分は、いずれも原告本人尋問の結果に照らしてたやすく措信することができない。また、成立に争いのない甲第一号証の一、二、同第二号証、乙第一号証、同第四号証の一、二、同第五号証、証人山中勉(第一回)の証言により真正に成立したものと認められる同第三号証の三、証人横田元の証言(第一回)により真正に成立したものと認められる同第二号証および第六号証の一ないし一六(ただし、第二号証、第六号証の三ないし一一および同号証の一五については、各欄外記載部分を除く。)、証人中内英明(第一、二回)、同池本良幸、同山本明夫、同吉次敏明(第一、二回)、同大田武の各証言、同山中勉および同横田元の各証言(いずれも第一、二回。ただし前記措信しない部分を除く。)ならびに原告本人尋問の結果を総合すれば、(1)従来被告高知県から県下の各学校に配分令達される旅費予算は各学校の需要を満たすには程遠い実情にあつたため、城山高校においては、昭和四〇年当時既に、右実情に対処するための措置として、右旅費予算不足分の一部をP・T・Aからの補助金をもつて補填すること、および所属職員は校長の旅行命令による公務のための旅行に際しても旅費条例に基づく正規の旅費額に満たない費用(交通・宿泊費等の実費にいくばくかの日当を加算した額)で旅行を完了することなどを内容とする旅費支給方法が慣行化しており、大方の職員はこれを止むを得ない措置として是認していたこと、原告も一応右の取扱いに従つてはいたが、かつて県教委職員として在職していた経験を有する関係で、かねて被告高知県の一般職員の場合と異なる右取扱いに疑問を抱き常にその是正を志向しており、県教組が当時既に取組んでいた教育費父兄負担軽減運動にもその組合員として積極的に参加していたこと、(2)本件修学旅行を実施するに当り、当時の城山高校校長山本明夫は、原告外三名の引率教員を派遣することとし、その旅費は前記慣行に従い、一人当り交通費等実費金一四、六五〇円に雑費金五、〇〇〇円を加算した金一九、六五〇円にとどめ、これを県およびP・T・A双方の予算から支給するとの方針を決定し、自らあるいは同校教頭の吉次敏明を通じて原告ら引率教員に対し、右支給額の承認を求めるための交渉をしたこと、これに対し、他の三名の引率教員から交渉の委任を受けた原告は、旅費条例に基づく正規の旅費を支給すべきが当然であるとの基本的態度を持して右交渉に臨んだが、交渉は進展せず、結局原告は、校長のみ相手にしても直ちに解決するような問題ではなく、しかも、原告ら引率教員が右態度を堅持し、最終的な解決をみるに至らない右交渉に固執すれば、本件修学旅行も中止のやむなきに立ち到り、生徒や父兄の期待にも副い得ない結果を招くことも危惧されたので、ともかくも本件修学旅行を完了し、その後に被告高知県を相手に高知県人事委員会に措置要求を提起するなどの法的手段をとることにしようと考え、結論を得ないまま右交渉を打切り、P・T・A予算のうちから四名分の雑費として金二〇、〇〇〇円(交通費・宿泊費等の実費はP・T・A会費のうちから事務職員によつて直接旅行案内業者に支払われた。)の立替払いを受けて本件旅行に赴いたこと、そして原告は、本件旅行終了後、予定通り被告高知県に対し右旅行のための旅費条例に基づく正規の旅費支給を求めるべく準備を開始し、県教組の組織決定を得たうえ、昭和四〇年一二月九日に高知県人事委員会に対し勤務条件に関する措置要求を提起したこと、(3)城山高校における県費予算からの旅費支給手続については、従来から事務職員がその請求から支給に至るまで必要書類の作成等所要手続の殆んどを担当していたものであること、すなわち、これを具体的にみると、各年度初に全職員から旅費の請求・受領および精算に関する権限の委任を受けた事務職員が概ね一箇月単位で前月分の公務旅行につき各旅行者の請求書(支出負担行為決議書兼支出命令書((乙第二号証、同第六号証の三ないし一六))の請求欄。以下、単に請求書という。)ならびにそれらの合計分に相応する支出負担行為決議書および支払命令書(ともに乙第六号証の一)に必要事項を記入してこれらの書類を一綴りとし、所定欄に校長、事務長(出納員)らの決裁印を受けた後に事務長から金員の支給を受け、これを各旅行者に交付することとし、前記慣行により旅費条例に基づく正規の旅費が支給されない場合には、事務職員は、右請求書作成に当り、旅費明細欄には右正規の金額を記入するけれども、請求金額欄には実際に県費から支給される金額を記載し、両者の差額については、その請求権を放棄する旨の文言を請求書欄外に記載し、各旅行者に現金を交付する際に右文言の末尾に当該請求者本人の捺印を求めるとの処理方法がとられていたこと、そして、事務職員は、右のごとき処理方法を一般教員も既に了解しているものと心得、個々の請求権放棄のための右捺印を求める際にも特にその捺印の趣旨を説明して了解を得ることをせず、また一般教員もこのような経理事務手続には殆んど関心を払わず、個々の捺印の趣旨を問うこともしないまま求められる個所に自ら捺印し、あるいは自己の印章を事務職員に手交して必要個所に捺印せしめるというのが常態であつたこと、(4)本件旅行に関する旅費精算手続は、昭和四〇年一一月二六日に同年一〇月分の旅費精算の一環として当時の事務職員横田元の手によつてなされたが、事務長山中勉から本件旅行のための県費支給額は引率教員一人当り金五、五〇〇円である旨の指示を受けた横田元は、旅費条例に基づく正規の旅費が原告については金二四、九二〇円となることから、これと右金五、五〇〇円との差額金一九、四二〇円は、原告においてその請求権が放棄されるべきものと考え、請求書(乙第二号証――同第六号証の一四、一五と同じもの。)作成に当り、その欄外に原告において右金額の請求権を放棄する旨の文言、すなわち原告作成名義部分中の原告名下の印影を除くその余の部分を記載したこと、その後所要の決裁を経て原告に支給されたことになつた右金五、五〇〇円は、横田元が原告の代理人として受領したものの、前記のごとく原告は本件旅行に赴く前既にP・T・Aから全額立替払いを受けていたことから、右金五、五〇〇円は横田の手からP・T・A会計係を兼ねていた山中勉の手に渡り、原告には何ら交付されなかつたこと、(5)なお原告は、一一月二六日の旅費精算において、別に高知市への出張旅費として金三五〇円を受領しているが、その請求書(乙第六号証の四)欄外にも前記同様金一〇五円の請求権を放棄する旨の記載があり、その末尾に原告の印章によつて顕出されたものと認められる印影が存在することが認められ、右認定事実によれば、前記乙第二号証(同第六号証の一四、一五)の欄外原告作成名義部分の原告名下の印影は、その余の部分が記載されたのと同じ昭和四〇年一一月二六日に原告または事務職員横田元あるいはその補助職員のいずれかの手によつて押捺されたものと考えられるが、平素如何に経理事務に無関心であつたとしても、かねてから学校における旅費支給の慣行に疑問を抱いており、しかも本件旅行後日ならずして前記措置要求までも提起している原告の本件旅費請求の問題にみられる終始変らざる態度に鑑みれば、原告が一見してその意思に反すると思われる右文書に自ら捺印することはあり得ないことと考えられるし、また、横田元ないしはその補助職員が原告の印章を借受けて捺印したものとしても、原告は右印章をそれらの者に手交した際果して右印章が高知市内への出張旅費金三五〇円の精算手続の外に本件旅費の精算手続にも使用されること、さらに本件旅費のうち金一九、四二〇円の請求権放棄の承諾印として捺印されることを認容していたというまでの心証を惹起するに足りない。

なお、前記認定したように、城山高校においては、昭和四〇年度初に全職員の旅費の請求、受領ならびに精算に関する権限が事務職員である横田元に委任されているけれども、その委任状である前掲乙第五号証の記載文言からみても、あるいは前記認定したような旅費請求権放棄の処理手続の実際からしても、右は旅費の支払請求と受領に関する権限の委任にとどまるものであつて、旅費請求権の放棄の権限まで委任されたものとはとうてい解し難く、右横田元に旅費請求権の放棄を代理するような権限はないことが明らかであるから、仮りに同人が前述のように原告の高知市内への出張旅費請求権放棄の手続等に必要なものとして原告の印章の交付を受けこれを本件旅費請求権放棄の手続に使用したようなことがあつたとしても、右横田元が原告の承諾を得たとの確証のない本件にあつては、右乙第二号証(同第六号証の一四、一五)欄外の旅費請求権放棄に関する原告作成名義部分の原告名下の印影が原告の真意に基づき押捺されたものとすることはできないところである。

従つて、右乙第二号証(同第六号証の一四、一五)欄外原告作成名義部分の原告名下の印影が原告の印章によつて顕出されたものであるからといつて直ちに右印影が原告の意思に基づいて顕出されたものとは断じ難く、他に右捺印が真正に成立したものと認めるべき証拠はないから、結局右書証の真正な成立はこれを認めることができず、これを被告主張事実の認定の資料に供することはできない。

そして、他に原告が金一九、四二〇円の請求権を放棄したとの被告主張事実を認めるに足りる証拠は存しないので、被告の右抗弁は理由がないものといわなければならない。

三、よつて、原告の本訴請求は正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条および民事訴訟法第八九条を適用し、仮執行の宣言はその必要性が認められないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 安藝保寿 稲垣喬 鳥越健治)

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